アメリカの聾エイズ患者7名を描いた「私達の仲間の話を聞いて」のドキュメンタリー映画は
1994年、アメリカの聾黒人女性監督ジェイド(本名はアン・マリー・ブライアン)さんによって作られたものです。
主な出演者の7名やそれらに関わる多くの人々たちの語りなど…どれも一つ一つ目から離せない。

解説「私たちの仲間の話を聞いて」〜エイズとともに生きる7人のろう者〜 岡典栄
1992年10月、アメリカの首都ワシントンすっくりとそびえたつ
ワシントンモニュメントの下に敷き詰められた2万枚のメモリアル・キルト。
それはエイズで亡くなった人を追悼するために畳一畳分の布に
故人の家族や恋人、友人たちがその人の名前や思い出、メッセージを縫いこんだものである。
1987年にサンフランシスコで開始されたこのプロジェクトの展示は
アメリカだけでなく、世界の多くの国で行われている。
日本でも1991年に初めて京都ほか8都市で巡回展が行われたので
ご存じの方も多いだろう。鮮やかな色のモザイクである。
このドキュメンタリーはワシントンでのメモリアル・キルトを用いた
追悼式典の準備の場面でのインタビューから始まり、
エイズとともに生きる7人のろう者・難聴者がアメリカ手話で自らの物語を語っていく。
インタビューをしているジェイド監督は若いろう者の女性である。
登場人物たちが語る、エイズと知った時の恐怖、
夫婦、親子、兄弟との軋轢、孤独との戦い。
そして愛と受容。彼らが口ぐちに語るのはエイズ教育の重要性である。
日本におけるHIV感染者は確実に増加している。
感染の報告数は若い人に多いが、エイズを発症してから見つかる例は
中高年にも少なくないという。
また、異性間の性的接触による感染は約25%で
若い年齢層の異性間接触による感染数は男性よりも女性の方が多い。
世界的に見れば、母子感染し
その後エイズを発症して死亡する児童が大きな問題となっている。
つまり、エイズはジェイド監督が言うように
「みんなの病気であり、みんなの問題」なのだ。
エイズに関する情報は日本のろう者に正しく届いているだろうか?
情報弱者と言われる耳が聞こえない人たちにとって
アメリカの同胞が語る手話は直接胸に響くことだろう。
最後にベット・ミドラーの歌「愛は翼にのって」に合わせて繰り出される
手話ポエムの美しさはアメリカ手話が分かるか否かに拘らず
聞こえる・聞こえないに拘らず見る者をくぎ付けにする。
音のない歌、目で見る歌が直接伝わってくる。
その流麗さは、まさに必見である。
評論「語る者たち」 ろう画家 佐藤譲二
ろう者であるジェイド監督は、私の仲間と呼ぶろう者のHIV感染者とその周辺のろう者にカメラを持って会いに行く。
ろう者はカメラの前でエイズと自分自身の関わりを淡々と語る。
ある者は健康だった頃はダンスに熱中していたと語り、別の者は輸血によって感染され、
未だに父には見舞いに来てくれないと語り、別の画面では複雑な夫婦感情を吐露するエイズ患者を持つ妻が映る。
また、聴者より不当な扱いを受けているろう者のHIV感染者を支える人たちの姿も映される。
エイズに対するそれぞれの思いが手話によって見る者に伝えられていく。
そこには、ろう者とHIV感染者というマイノリティの中のマイノリティであることの宿命と苦悩の交錯がある。
語り続けているうちに、語る者はエイズという残酷な現実を受け入れ、いつまで生きられるか分からない
暗澹たる未来しか残されていない中、それでも生きていこうとする自分自身に気づき始める。
驚くほど冷静沈着な姿は、「ろう者」のHIV感染者ではなく、
人種、民族、性別、世代、社会などの枠から遠く離れた、単に「個」であるただ一人のHIV感染者である。
それは、死を間近まで引き寄せた人たちの運命からくる、存在のとてつも無い大きさなのだろう。
あるいは、カメラの前にむき出しにされる身体性の揺るぎない確信性とはかなさ。
たまたまその人たちは自分の言語である手話でエイズを語るだけなのだ。
語る姿は絶望的で残酷でもあるが、同時に力強さを伴った美しさを感じないわけにはいかない。
登場人物の一人である、エイズによって盲目になったクオニ・メイソン氏はこう語る。
「私はずっと私であり続ける。私は私をやめることはできないから・・・」
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